
ーーー「夷」の解釈ーーー
「東洋人物学」 安岡正篤 致知出版 P129
2006/08/27
険夷一節という言葉があるが、この「険」というのは逆境という意味です。それに対して「夷」は平らか、つまり順境。順境・逆境、一貫して変わらんというのが険夷一節である。これが大事です。逆境と順境とで志を変えるようでは学を語ることはできない。夢覚めて趣きが変わるようでは道を語ることはできない。覚めても夢を見ても変わりがない、これも一節です。
「夷」という文字は面白い文字で、これには「平らか」、「順境」という意味と同時に「常」、変わらないという意味があります。普通は夷狄(いてき)の夷と解釈するが、世間の人はよく誤解していることがある。
中国人は昔から、東夷・西戎(せいじゅう)・南蛮・北狄(ほくてき)といって周辺の異民族を蔑視して、自分がつまり「中華」であると、非常なプライドをもっておった。 こういうプライドはどこの民族ももっている。
日本人は天孫民族と自称してきたし、スラブ民族はイワン三世の時分から、世界を救う光と力はモスクワから、というのが彼らのプライドであった。いまだにそうした感情は、形こそ変えてはいるが、どこの民族にも連綿としてある。 逆にいえばこの程度のプライドがないような国、民族は話にならんともいえる。
ともかく、中国人がいった西戎というのは、主としてチベット民族とトルコ民族だが、これらから武力侵略を受けたためにそう呼んだ。 「戎」という文字は手に矛(ほこ)(戈)をもっておるという意味である。南蛮の「蛮」には虫がつき、北狄の「狄」にはケモノヘンがついており、いずれも動物あつかいである。
それに対して東夷のみは、人間あつかいになっている。 「夷」は「大」(仁王立ちになっている人間)が「弓」をもっているという象形文字だ。弓は古代においてあらゆる武器の中で最も権威のあった武器の一つであった。つまり、敬意を表していることになる。
夷というのはどこを指すかといえば、だいたい山東から朝鮮、日本であることが古文書にはっきり記されている。中国の歴史というものは常に文明と没落の繰り返しであった。文明は必ず文弱になる。文弱はやがて侵略征服を蒙(こうむ)って滅びる。
「夷」という文字は、その文弱なるものに対して、権威ある武器を持って仁王立ちになっている。換言すれば東夷は中国の文弱に対して武侠、素朴と剛健とを誇る民族のことであります。
江戸中期の儒学者・荻生狙徠オギウソライ(名は讐松ナベマツ、字は茂卿、狙徠と号した)は自らを東夷、物茂卿(ぶつもけい)と称していた。なぜそう称したのか。彼が語ったところによると真意はこうだ。
中国は文弱で常に滅んでおる。彼らがいわゆる夷狄と称するものから常に侵略征服されておる。わが東邦日出ずる国の武士は断じて許さない。素朴剛健、断じて敵の侵略だの征服だの、そもそもそういうものを蒙むる文弱、滅亡を許さない武勇の民である。
こういう中国の文弱に対する誇りの言葉で、アイロニカル、皮肉に表現したものである。ところが、そういうアイロニーを解さない学者たちは、「荻生狙徠は自ら東夷なんて称して卑屈である。拝外心理、外国崇拝の典型的な悪例だ」と物知り顔で罵(ののし)っているが、これはピント外れであります。